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2023年3月15日
近接場ラマン法による4H-SiC MOSFETパワーデバイスの局所応力解析の受託サービスの開始について
~脱炭素・省エネ社会のパワー半導体開発を支える先端分析技術~
【要旨】

 株式会社東レリサーチセンター(所在地:東京都中央区日本橋本町一丁目1番1号、社長:川村邦昭)は、株式会社堀場製作所(所在地:京都市南区吉祥院宮の東町2番、社長:足立正之)の協力のもと、100ナノメートルの高い空間分解能を持つ新しい近接場ラマン顕微鏡(Scanning Near field Optical Microscopy : SNOMラマン分光装置)を開発し、次世代のパワー半導体として期待されている、炭化シリコン(SiC)製デバイスの性能に大きな影響を及ぼす残留応力について、従来比、約10倍の高い精度での分析を可能としました。SiCは高耐圧、低損失、高周波および高温動作を実現する優れた特性を持つため、EV(電気自動車)や高速通信、DX(デジタルトランスフォーメーション)技術の発展とカーボンニュートラル社会実現に向けて不可欠な材料と言われています。今回新たに開発した分析技術は、パワー半導体の中核を担うSiC半導体デバイスの開発を促進し、我が国の半導体産業の高度化に大きく貢献できます。
 東レリサーチセンターは、「高度な技術で社会に貢献する」という基本理念のもと、最先端の分析技術をいち早く提供し、今後もカーボンニュートラル社会の推進に貢献して参ります。

【背景】
 ラマン分光法とは、レーザー光を試料に絞り込んだ時に発生する散乱光をスペクトルとして検出し、試料の様々な化学的な情報(組成や歪み、結晶性など)を抽出する分析手法です。ラマン分光法は、試料表面・内部を非破壊かつ前処理なしで測定が可能なことから、材料科学をはじめ幅広い分野で利用されています。特に、半導体分野においては、異種材料接合部に作用する応力の解析に対して高い有用性が認められ、半導体デバイスの開発に不可欠な分析手法の一つとなっています。
 通常の光学顕微鏡を用いる顕微ラマン分光装置の空間分解能は、およそ1マイクロメートルです。しかし、近年の半導体デバイスの微細化に伴い、更なる高い空間分解能が求められるようになってきました。特に、電気自動車(EV)の発展の鍵となるパワー半導体デバイスでは、電極やゲート酸化膜近傍のごく局所部に作用する応力が、半導体チップの損傷やデバイスの性能に大きく影響を与えると考えられており、ナノメートルオーダーの空間分解能を持つ、新しい分析法が待望されていました。
 このような背景から、東レリサーチセンターでは、近接場光を利用した新しいラマン顕微鏡である「SNOMラマン分光装置」を世界で先駆けて開発してきました。2003~2008年にNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の支援を受けて実施した基礎研究開発の成果を基盤として、2018年には近接場光の発生効率を高めた近接場用プローブの開発に成功し[1]、2021年には紫外レーザー光を用いた新規の光学系を構築することなどで高感度化を図り、シリコン(Si)製のモデルデバイスでの微小部・応力評価を実現しました[2]。本年度は、世界で初めて、今後のパワー半導体デバイスの中核となる、実際のSiC半導体デバイスへと応用展開し、従来を大きく上回る、高い精度での応力解析が可能となりました。

[1] https://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/1928379108AA12E7492582020022CE23?open

[2] https://web02.tsc.collab.cloud/news/trc/trc_newsrrs01.nsf/0/10FD400250E12B4D4925873C00050C25?open

【今回の成果の具体的な説明】
 図1に、開発した近接場ラマン顕微鏡の概念図を示します。波長355 nmの紫外レーザー光を、独自に開発した近接場光発生用プローブ先端の微小開口に絞り込み、開口部周辺に近接場光(=微小開口から染み出した光)を発生させます。この近接場光を試料に照射し、ラマンスペクトルを取得します。従来のラマン分光法と比較して高い空間分解能が得られるのは、この近接場光のスポットサイズが水平・垂直方向ともに100ナノメートル程度と小さく、試料に照射されるレーザー光の表面積が相対的に小さいことによります。
 SiC半導体デバイスの応力解析では、この高い空間分解能に加えて、入射光や散乱光の偏光(電場の振動方向の向き)方向の制御が重要となります。線膨張係数などの、SiCの材料特性は向きによって大きく異なっており(異方性)、これはSiCの持つ結晶構造の異方性に依存しています。結晶の各方位に対する偏光の角度を調整することで、それぞれの向きの応力の情報を得ることができます。この偏光を制御するための光学素子を新たに装置に組み込むことで、プローブで発生した近接場光の偏光情報を取得することが可能になった点が今回の成果の重要な技術ポイントです。

図1 東レリサーチセンターが開発した近接場ラマン(紫外SNOMラマン)分光装置の概念図

図1 東レリサーチセンターが開発した近接場ラマン(紫外SNOMラマン)分光装置の概念図

 SiC半導体は、ケイ素(Si)と炭素(C)から成る単位層の積層構造を持ち、その組み合わせにより、200種類以上の結晶多形が存在します。その中でも、パワーデバイス用途としては、電荷移動度の高い4H-SiC(六方晶)が主流であることから、今回の評価にも4H-SiC製の実デバイスを用いました。
 
 図2に、4H-SiC半導体で得られるラマンスペクトルの例を示します。スペクトルからは、結晶構造の異方性に由来する2本のラマン線(E2モード、A1モード)が検出され、E2モードは積層面方向(c面)、A1モードは積層軸方向(c軸)の振動モードに対応します。ラマン線のピーク位置は、試料に作用する応力の方向(引張か圧縮)とその大きさに比例して変化します。具体的には、引張方向に応力がかかった場合(結晶の格子間隔が広がった場合)には低波数側に、また圧縮方向にかかった場合には高波数側にピーク位置がシフトします。すなわち、E2モードとA1モードのそれぞれのラマンスペクトルのピーク位置を解析することで、積層面方向と積層軸方向のそれぞれの応力解析が可能です。

図2 SiCのラマンスペクトル例(左)と応力によるピークシフト例(右)

図2 SiCのラマンスペクトル例(左)と応力によるピークシフト例(右)

 図3に、トレンチ(ゲート電極が埋め込まれた溝)構造を有する実用デバイス構成である4H-SiC MOSFET(Metal Oxide Semiconductor Field Effect Transistor)の断面における、応力解析の結果を示しています。E2モードとA1モードのシフト量を応力値に換算し、積層面と積層軸方向の応力分布をそれぞれ評価しています。
 図3上段に示した、従来の顕微ラマン分光装置による応力分布像(空間分解能1 µm)からは、デバイス全体にかかる応力を評価でき、具体的には、積層面方向において、金属電極の近傍で圧縮応力が、トレンチの近傍で引張応力が作用していることが分かります。
 図3下段には、デバイス性能に直結し得る、トレンチ領域に着目した応力解析の結果を示します。従来の顕微ラマン分光装置では分解能が1 µmと不十分なために、トレンチ周囲の詳細な応力分布は評価できていません(図3左下)。それに対して、約10倍の高い空間分解能(=100 nm)を持つSNOMラマン分光法を適用することで(図3右下)、トレンチのごく先端の数100 nmの微小領域に局所応力が集中していることが、世界で初めて見いだされました。ここで検出された応力は局所部に作用する応力としては大きく、デバイス特性に影響を与える可能性が高いことから、トレンチ形状や製膜の条件の調整が必要であることを示唆する結果となりました。
 
 以上の結果から、開発した近接場ラマン分光装置を用いて、SiCパワー半導体デバイスの局所部の応力を従来のラマン分光装置よりもはるかに高精度で検出できること、かつトレンチ周辺部で異方性の応力が発生していることを、世界で初めて実証しました。

図3

図3 (上段)顕微ラマンによる全体・応力分布像(30×8 µm)    (下段)トレンチ領域周辺の微小領域・応力分布像(3×2 µm) (左)従来の顕微ラマン分光装置で取得した応力分布像(1 µm分解能) (右)独自に開発したSNOMラマン分光装置で取得した応力分布像(100 nm分解能)

【今後の展望】
 本装置は従来のラマン顕微鏡で測定可能な、あらゆる材料に適用できる可能性があります。特に、カーボンニュートラル社会実現へのキーマテリアルである、パワー半導体材料(窒化ガリウム、酸化ガリウム、ダイヤモンドなど)や、カーボン新素材、環境対応プラスチックなどに重点を置き、先端分析技術の更なる適用範囲の拡大を狙います。
 
 東レリサーチセンターは、「高度な技術で社会に貢献する」という基本理念のもと、最先端の分析技術をいち早く提供し、今後もカーボンニュートラル社会の推進に貢献して参ります。
 
【本サービスのお問い合わせ先】
(株)東レリサーチセンター
分析ご相談窓口
E-mail:bunseki.trc.mb@trc.toray

技術開発企画部 担当:村上 昌孝
TEL:077-510-9118
E-mail:masataka.murakami.v8@trc.toray

構造化学研究部 担当:藤田 康彦、内田 智之
TEL:077-510-9107
E-mail:yasuhiko.fujita.t7@trc.toray, tomoyuki.uchida.h9@trc.toray